■政治断簡 政治部次長・高橋純子

 「だまってトイレをつまらせろ」

 このところ、なにかにつけてこの言葉が脳内にこだまし、困っている。新進気鋭の政治学者、栗原康さんが著した「はたらかないで、たらふく食べたい」という魅惑的なタイトルの本に教えられた。

 ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しないとする。労働者諸君、さあどうする。

 ①代表団を結成し、会社側と交渉する。

 ②闘争委員会を結成し、実力闘争をやる。

 まあ、この二つは、普通に思いつくだろう。もっとも、労働者の連帯なるものが著しく衰えた現代にあっては、なんだよこの会社、信じらんねーなんてボヤきながらポケットティッシュを持参する派が大勢かもしれない。

 ところが栗原さんによると、船本洲治という1960年代末から70年代初頭にかけて、山谷や釜ケ崎で名をはせた活動家は、第3の道を指し示したという。

 ログイン前の続き③新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる。

 チリ紙が置かれていないなら、硬かろうがなんだろうが、そのへんにあるもので拭くしかない。意図せずとも、トイレ、壊れる、自然に。修理費を払うか、チリ紙を置くか、あとは経営者が自分で選べばいいことだ――。

 船本の思想のおおもとは、正直よくわからない。でも私は、「だまってトイレをつまらせろ」から、きらめくなにかを感受してしまった。

 生かされるな、生きろ。

 私たちは自由だ。

     ◇

 念のため断っておくが、別にトイレをつまらせることを奨励しているわけではない。お尻痛いし。掃除大変だし。

 ただ、おのがお尻を何で拭こうがそもそも自由、チリ紙で拭いて欲しけりゃ置いときな、という精神のありようを手放したくはないと思う。

 他者を従わせたいと欲望する人は、あなたのことが心配だ、あなたのためを思ってこそ、みたいな歌詞を「お前は無力だ」の旋律にのせて朗々と歌いあげる。うかうかしていると「さあご一緒に!」と笑顔で促される。古今東西、そのやり口に変わりはない。

 気がつけば、ああ合唱って気持ちいいなあなんつって、声を合わせてしまっているアナタとワタシ。ある種の秩序は保たれる。だけども「生」は切り詰められる。

     ◇

 「ほかに選択肢はありませんよ――」

 メディア論が専門の石田英敬・東大教授は2013年、安倍政権が発するメッセージはこれに尽きると話していた。そして翌年の解散・総選挙。安倍晋三首相は言った。

 「この道しかない」

 固有名詞は関係なく、為政者に「この道しかない」なんて言われるのはイヤだ。

 近道、寄り道、けもの道、道なんてものは本来、自分の足で歩いているうちにおのずとできるものでしょう?

 はい、もう一回。

 だまってトイレをつまらせろ。ぼくらはみんな生きている。