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 もう20年も前の話である。

 政治部に配属され、いわゆる総理番記者として当時の森喜朗首相を担当した。官邸が新しくなる前で、首相が執務室を出て、たとえば車に乗り込むまでの間など、1人の記者が首相の隣について質問することができた。1日数回、全てオンレコだ。

私が質問についたある日「君のことは知っている。君には答えたくないな」と言われた。私自身は驚いただけだったが、記事にした社もたしかあった。首相たるもの記者を好き嫌いで選別してはいけないと。ただ、森氏は「自分を理解してほしい」との思いを持ち、前・現首相に比べれば、記者とその後ろにいる国民に、不器用なりにまじめに向き合っていたと今は思う。

首相に嫌われたことより私を悩ませたのは、官邸内の「御殿男中」な人々だった。一歩前に出ようとするのは記者の習性だが、「ダメダメ!」と高圧的に制される。どこからが越えてはいけないラインなのかは彼らの気分次第のようで、「なぜ」と問うても答えはない。何度もダメダメ!されるうち、気づけば見えないラインを必死によんで、手前の手前で踏みとどまるようになっている自分がいた。自己規制ってやつですね。こわいこわいやばい。以来、「はあ?」と感じたらそのまま声にするよう心がけた。野性の解放。拒否反応を抑え込まず外に出せば、自分の内側に自分でラインを引かずに済む。私なりの防御策である。

首相のそばで仕事をする官僚に、森氏の首相としての資質を問うたことがある。様々意見をかわしたが、最後、彼の答えは「選挙を通じて国民に選ばれた首相を批判することはできない。それは『天にツバ』することになるから」。なるほど官僚の矜持(きょうじ)とはこういうものかと、当時は感じ入った。だがいま改めて検分すれば、総合的俯瞰(ふかん)的保身の臭いが鼻をつく。その「正論」は、抵抗「しない」理由にはなっても、抵抗「できない」理由にはならない。

日本学術会議会員の任命拒否をめぐっては、国の予算が出ている、前例踏襲でいいのかなど正論っぽい説を政権が流布しているが、なぜ6人を選んで外したのか説明はない。果てに首相は「説明できることとできないことがある」。はあ? 説明できぬなら即撤回を。説明なき改革論をつい受け入れてしまうお客様には「はあ?(減塩タイプ)」お試しセットを無料でお届けします。

「世の中には意味のない勝ちもあれば価値のある負けもある。もちろん価値のある勝ちが誰だっていい。でもこの二つしかないのなら、僕は価値のある負けを選びます」。首相と日本学術会議の会長が会談したというニュースを見て思い出したのは、映画監督の是枝裕和さんが6年前、私のインタビューに語ったこの言葉と、哲学者の鶴見俊輔のことだった。

鶴見は1960年、東京工業大学を辞めた。親交深い中国文学者の竹内好が、文化人集団の請願で岸信介首相と面会、新日米安全保障条約に抗議したが、その後すぐに衆院委員会で強行採決されたため、岸のもとで公務員はやれないと東京都立大学を辞職。鶴見はその後に続いたのだった。

私が鶴見を敬愛するのは、闘いに身を投じつつ、「よい負け方」という選択肢も常に頭においているからだ。下手に勝つくらいならうまく負けた方がいい、負けっぷりのよさが次の波を準備する――。「未来志向」は本邦において、現にある問題をうやむやにする方便に成り下がっているが、本来は鶴見のような態度をさすのだと思う。

「負け戦のときに目を開いていることはたいへんに重要で、それが次のステップにつながる」(「戦争が遺したもの」)

学術会議の会長は、首相を前に目を閉じてはいなかっただろうか。勝負はまだこれから。私はあなたの背中を目を開いて見つめ、野性の念を送ります。ファイト。 (編集委員)

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