風流夢譚
                                   深沢七郎


 あの晩の夢判断をするには、私の持っている腕時計と私との妙な因果関係を分析しなければならないだろう。私の腕時計は腕に巻いていると時刻は正確にうごくが、腕からはずすと止ってしまうのだ。私は毎晩寝る時は腕からはずして枕許に置くので、針は止って、朝起きて腕につけると針はうごきだすのだ。だから、
「この腕時計は、俺が寝ると俺と一緒に寝てしまうよ」
  と私は言って、なんとなく愛着を感じていたのだった。これは腕時計が故障しているので時計の役目をしないことになるのだが、それでも私は不便は感じなかった。私と同居しているミツヒトという甥は機械類が好きで、時計も高級なウエストミンスターの大型置時計を置いてあるからだった。
  数ヵ月前のことだった。
「そんな役に立たない腕時計は」修繕した方がいいじゃァないか」
  と弟にすすめられて、弟の知りあいの時計屋さんに持って行ったことがあった。
「分解掃除をするんですねえ」
  そう言って時計屋さんは中を開いて、
「アッ、こいつは凄い時計ですよ」
  と、眼を見はった。
「そんなにいい時計だったですか?」
  と覗き込んだ弟も、「アッ!」と叫んだ。時計の中は歯車もゼンマイも部分品は燦然と輝く金製品だった。
「金ですか?」
  と弟が念を押した。
「純金ですよ、こんな時計は見たことがないから」
  と言われて、私は(そうでしょう/\)と思っていた。手を合わせておがまれるように頼まれて買わされた時計だったが、(あゝ、掘りだしものだったなぁ)と嬉しくなった。時計屋さんは5分間ばかり調べてくれたが、
「どこも故障などしてないですねえ」
  と言って、それから、
「こんないい時計に、こんなバンドでは時計が泣きますよ、このくらいのをつけなければ」
  と千五百円の金張りのバンドをつけてくれた。
(そうでしょう/\)
  と払は千五百円支払って、帰りがけに、
「あの、夜中に止ってしまうのですが」
  ときくと、
「それはネジを巻かなかったでしょう」
  と言われた。ネジを巻いても止ってしまうのだが、相手がそう言うのでこれ以上しつこく言うことが出来なくなっでしまった。それで、そのまま帰って来てしまったが、少したって、デパートの時計部へ持って行って見て貰ったら、
「これは、タイヘンな、インチキ時計ですねえ、スイス製のマークだが、こんな時計は、なかの部分品は、これは、トタンのメッキみたいなものですね、バンドだけは金張りでこんな時計につけては勿体ないですよ」
  と言うので(そうでしょう、やっぱり)と思いながら聞いていた。この時計は友人から3千円で買ったのだった。その友人は帰国するアメリカ婦人から捨値で5千円で買ったのだそうである。その友人は
「母キトク」の電報がきた時に、
「買ってくれ、捨値でも5千円するのだが、3千円でいいから」
  とすすめてくれて私が買ったのだが、アメリカ婦人の捨値ということも本当だかどうか疑わしいし、「すごい、いい時計だ」とほめてくれた時計屋さんもバンドを売りつけるためのお世辞だったらしい。そんな不愉快なことがあったりしたが、なんとなく私は愛着があって、
「俺が眠ると、俺と一緒に眠ってしまう」と言って、私は手離す気になれなかったのだった。
  あの晩、私が家に帰ったのは夜おそく私の腕時計は1時30分だった。腕から時計をはずして寝たのだが、私の意識していた時刻はウエストミンスターの針は1時50分をさしていて、その時は私の腕時計も1時50分だった。それから私は眠ってしまってあの夢を見たのだった。
  その夢は私が井の頭線の渋谷行に乗っているところからだった。朝のラッシュアワーらしく乗客は満員だった。客達はなんとなく騒いでいて「今、都内の中心地は暴動が起っている」とラジオのニュースで聞いたとかと話しあっていて、私の耳にも聞えていて、私もそれを承知しているのだった。渋谷の駅で降りて私は八重洲口行のバスに乗ろうとするのだが、何の用事で私は八重洲口に行くのか知らないのだ。これは、夢というものはそんなことまで考えてはいないものだ。バスの乗り場の大盛堂書店の前へ行くと、バスを待っている人がずーっと道玄坂の上まで並んでいてしまいはどこだかわからないのである。どうしたことか私はその一番先頭へ立ってしまったのだった。私が、変だと思うのはこんな秩序を乱すようなことをふだん私はしないのに、そんなことをして、また、まわりの人達も文句を言わないのはどうしたことだろう。そこで私は立っている間にまわりで騒いでいる話を聞いていると、都内に暴動が起っているのではなく、革命の様なことが始っているらしいのだ。
「革命ですか、左慾《サヨク》の人だちの?」
  と隣りの人に聞くと、
「革命じゃないよ、政府を倒して、もっとよい日本を作らなきゃダメだよ」
  と言うのである。日本という言葉が私は嫌いで、一寸、癪にさわったので、
「いやだよ、ニホンなんて国は」
  と言った。
「まあキミそう怒るなよ、まあ、仮りに、そう呼ぶだけだよ」
  と言って、その人が私の肩をポンと叩いた。この時私は、並んでいる人達はみんな労働者の様な人達ばかりなのに気がついた。そんなことを言ってるうちに向うの方からバスが来て止った。そうすると並んでいる人達がわーっとバスへ乗り込んで、運転台から運転手をひきずり降ろすと、別の人が運転してバスはうごきだした。私は見ているばかりで相変らず停留所の先頭に立ってバスを待っているのである。
「どこへ行ったんですか? あのバスは?」
  と隣りの人に聞くと、
「警視庁と、いま射ち合いをやっているので応援に行ったんだよ」
  と教えてくれた。
「えッ、警視庁とやってるんですか? そいつはまずいですねえ」
  と私が注意すると、
「いや、警察も、下ッパ巡査はみんな我々と行動を同じにしているが、刑事は反抗していて、いまピストルの射ち合いをやってるんだ」
  と言うのだ。
「わー、ピストルがあるんですか? こっちにも?」
  ときくと、
「あゝ、あゝ、ピストルでも機関銃でもみんなあるよ」
  と言うのだ。
「そいつは安心ですねえ、いつでもスクラムをくんだり、バリケードなんかばかりでツマラナイけど、どこからピストルや機関銃を?」
  ときくと、
「各国で応援してくれたんだよ、悪魔の日本をやッつけるために、こないだの韓国のデモの人達が船でとどけてくれたり、アメリカでも機関銃を50丁《チョウ》ばかり、ソ連でも20丁《チョウ》ばかり」
  と言うのだ。
「話せるねえ、各国は」
  と私は言って横を見ると、ヌードダンサーの春風そよ子さんも並んでいた。私が変だと思うのは、彼女はマニキュアをしながらバスを待っているのだが、指をうごかさないでヤスリの方をうごかしているのである。彼女がこんな磨き方をする筈がないし、私は声もかけないで黙って見ているだけなのは、どうしたことだろう。それが変だとも思わないで、私はさっきのヒトに、
「それだけ機関銃があれば大丈夫ですねえ」
  と言った。その時、またバスが来て私の前に止った。みんなわーっと騒いでバスに乗り込んで運転手をひきずりおろしてバスは動きだしたが、私は相変らず停留所の前に立っているのだった。
「どこへ行ったんですか? あのバスは?」
  と隣りのヒトに聞くと、
「あのバスは自衛隊を迎いに行ったんだ」
  と言うので驚いた。
「そいつはまずいですねえ、自衛隊なんか来ては」
  と言うと、
「自衛隊もみんな俺達と行動を同じにしていて、反抗するのは幹部だけで、下ッパはみんな農家の2、3男坊ばかりだから、みんな献身的に努力しているのだ」
  と言うのだ。
「いつから、そうきまったんですか?」
  と私はきいた。急にうしろで、
「いつからきまったなんてことないワ、そういうことになってるのよ」
  と女の声がした。ふりむくと中年の職業婦人らしいヒトが編物をしながらやっぱりバスを待っているのである。
「あなたも、喧嘩をしに行くんですか?」
  ときくと、
「喧嘩じゃないわよ、戦いよ、会社へ出勤するつもりで来たけど、革命があるというので私も行くことにしたのよ」
  と言っているが、これから戦いに行くというのに買物でも待ってるように編物をあんでいるのだ。
「僕も行くかなァ」
  と言うと、
「あら、そう、そんなら私と一緒に行かない?」
  と誘ってくれた。
「大丈夫ですか?」
  と私は急に怖気づいた。
「ダイジョブよ、さっきのバスは自衛隊と一緒になって、銀座で、反動分子と戦ってるけど、こんど来るバスは皇居へ乗り込んで‥‥」
  と言うので、私は喜んだ。
「皇居へ乗り込むんですか。それじゃァぜひ連れてって下さい」
  と私はその女のヒトに頼み込んだ。私が変だと思うのは、その女のヒトは編物をしながらバスを待っているのだが、二つの毛糸の玉を道にころがしたまま編んでいることなのである。こんな風に道にころがしておけば糸が汚れてしまうのに、私は黙って見ているだけで、拾ってやろうともしないのはどうしたことだろう。
  そのうちにまわりの人だちの話し声は、
「もう皇居は、完全に占領してしまった」
  ということになっていた。そこで私は誰かが呼んでいるのに気がついた。ひょっと向うを見ると「女性自身」という旗を立てた自動車に、スシ詰めに人が乗っていて、その人達がみんなこっちを見ているのだった。
「これから皇居へ行って、ミッチーが殺《ヤ》られるのをグラビヤにとるのよ」
  と女の記者が嬉しがって騒いでいて、すぐにもそこへ飛んで行きたいのだが、私が変だと思うのは、そこへ走っても行かないで返事もしないで、相変らずバスを待っているのはどうしたことだろう。そのうちまわりの人達の話し声は、
「いま、銀座で、敵は火焔放射器を持ちだして頑強に抵抗している」
  ということになっていた。
「そいつはまずいですねえ、火焔放射器では」
  と私は怖気づいた。
「火焔放射器なんかヘッチャラよ」
  というのはさっきの編物をしている女のヒトである。黙って聞いていると、
「火焔放射器の欠点はミサイル砲で吹っ飛んでしまうことで、こっちでも自衛隊の人達がそんなときの用意にミサイル砲も持って来たから」
  と言っているので私は安心した。その時、どこからか吹奏楽の音が聞えてきて、だんだん近くなって来るのだ。
「軍楽隊もこっちへ帰順した」
  とまわりの人達が騒いで拍手をやりはじめた途端、青山車庫の方から軍楽隊が〝キサス・キサス〟を演奏しながらこっちへ来たのだった。私が変だと思うのは、(あの、キサス・キサスはルンバでやってるのかしら、マンボでやってるのかしらん)と思ってるのに、私は別のことを言っているのだ。
「クンバイ・クンバイ・チェロをやればいいのに」
  と別の曲の注文を誰に言うともなく言っているのはどうしたことだろう。それからバスが来て目の前に止ったのだった。みんな「わーっ」とバスに乗り込んで運転手をひきずりおろしたので、私も「わーっ」と騒ぎながらバスの中へ入ってしまったのだった。すぐバスは満員になって動きだして皇居へ向ったのだ。赤坂見附から三宅坂を通って、桜田門は開いていて、バスは皇居広場へ向って行った。皇居広場は人の波で埋っているのだが、私のバスはその中をすーっと進んで行って、誰も轢きもしないで人の波のまん中へ行ったのだった。そこには、おでん屋や、綿《ワタ》菓子屋や、お面《メン》屋の店が出ていて、風車屋がパァー/\と竹のくだを吹いて風船を鳴らしている、その横で皇太子殿下と美智子妃殿下が仰向けに寝かされていて、いま、殺られるところなのである。私が驚いたのは今、首を切ろうとしているそのヒトの振り上げているマサキリは、以前私が薪割りに使っていた見覚えのあるマサキリなのである。私はマサカリは使ったことはなく、マサカリよりハバのせまいマサキリを使っていたので、あれは見覚えのあるマサキリなのだ。(困るなァ、俺のマサキリで首など切ってはキタナクなって)と、私は思ってはいるが、とめようともしないのだ。そうしてマサキリはさーっと振り下ろされて、皇太子殿下の首はスッテンコロコロと音がして、ずーッと向うまで転がっていった。(あのマサキリは、もう、俺は使わないことにしよう、首など切ってしまって、キタナクて、捨てるのも勿体ないから、誰かにやってしまおう)と思いながら私は眺めていた。私が変だと思うのは、首というものは骨と皮と肉と毛で出来ているのに、スッテンコロコロと金属性の音がして転がるのを私は変だとも思わないで眺めているのはどうしたことだろう。それに、(困る/\、俺のマサキリを使っては)と思っているのに、マサキリはまた振り上げられて、こんどは美智子妃殿下の首がスッテンコロコロカラカラカラと金属性の音がして転がっていった。首は人ゴミの中へ転がって行って見えなくなってしまって、あとには首のない金襴の御守殿模様の着物を着た胴体が行儀よく寝ころんでいるのだ。私は御守殿模様の着物を眺めながら、横に立っている背広姿の老紳士に、
「あの着物の模様は、金閣寺の絵ですか? 銀閣寺の絵ですか?」
  と聞いた。私の直感で、この紳士は皇居に関係のある人だと睨んだからだった。
「いや、あれは、豊受大神宮の絵で、橋の模様は京の三条大橋だ」
  と、よく知っているような口振りで教えてくれたのである。私の直感は当ったらしいが、念のために、
「あなたは? 皇室に?」
  と聞くと、
「そうです、わしは、30年も50年もおそば近くにおつかえした者だ」
  と言うのだ。私が変だと思うのは、この老紳士は敵の中で危害も加えられないし、味方の殺られるのを平然と眺めていることではなく、老紳士の首に岩乗な鎖で重いネックレスが首を縛っているように巻きついていて、(重たいじゃァないかしらん)と私は眺めているのに、少しも重そうではないのはどうしたことだろう。その上、この老紳士は向うの方へ指をさして、
「あっちの方へ行けば天皇、皇后両陛下が殺られている」
  と教えてくれたのだ。そうして私はのそのそと老紳士の指差した方へ人ゴミをわけて歩いて行ったのだった。そこでは交通整理のおまわりさんが立っていて、天皇、皇后の首なし胴体のまわりを順に眺めながら、人ゴミは秩序よく一方交通でうごいているのだった。皇太子はタキシードを着ていたが、天皇の首なし胴体は背広で、皇后はブラウスとスカートで、スカートのハジには英国製と商標マークがついているが、私は変だとも思わないで眺めていた。仕立上ったスカートにそんな商標マークがついている筈はないのに、変だとも思わないで私は、(天皇の背広も英国製だ)と思って眺めているのだ。ひょっと気がつくと天皇の首なし胴体のそばに色紙が落ちていて、私はそれを拾いあげて読もうとしたのだった。が、毛筆で、みみずの這った様なくずし字なので、さっぱり判らないのだ。
「こりゃー、なーんだ、読めないよ、こんなもの」
  とひとりごとを言うと、
「それは天皇陛下の辞世のおん歌だ」
  と横で声をかけてくれたので、横をむくと、さっきの老紳士が立っていたのだった。
「読めますか? こんなくずした字が?」
  と言うと、
「読めなくてどうするんだ、わしなど30年も50年もおそば近くにおつかえした者だ」
  そう言いながら、色紙をとりあげるように取って読んでくれた。
   みよし野の峰に枝垂れるちどりぐさ
    吹く山風に揺るるを見れば
  老紳士は読んでくれて、頼みもしないのに歌の解釈もしてくれた。
「みよし野の峰にしだるる千鳥ぐさ吹く山風に」までは「揺るる」の序で、「揺るる」は国が動乱することを意味するもので、歌の大意は「なんと国家動乱したことであるわい」という意味だそうである。
「御製《ギョセイ》ですねえ」
  と私は言った。
「辞世の御製で、辞世だから御生涯中で唯一首しかないおん歌だ」
  と老紳士は言って目をとじた。天皇の歌があるなら皇后の歌もあるのに違いないと気がついて、私は皇后陛下の首なし胴体のところを注意して見るとやっぱり色紙が落ちていたのだった。拾い上げたがくずし字なので読めないのである。
「これも、読めますか?」
  と老紳士に見せると、
「これも辞世のおん歌だ」
  と言って読もうとしたときだった。急に前が騒がしくなって人ゴミをわけて出て来た老女があった。
「昭憲皇太后が来た、昭憲皇太后が来た」
  とまわりの人が騒ぎたてるので見ると、65歳ぐらいの立派な婆さんである。広い額、大きい顔、毅然とした高い鼻、少ししかないが山脈の様な太い皺に練白粉をぬって、パーマの髪も綺麗に手入れがしてあるし、大蛇の様な黒い太い長い首には燦然と輝く真珠の首飾りで、ツーピースのスカートのハジにはやっぱり英国製という商標マークがはっきり見えているのだ。私が変だと思うのは、この昭憲皇太后は明治天皇の妃か、大正天皇の妃かも私は考えないし、そのどちらも死んでいる人だのに、そんなことを変だとも思わないでとにかく昭憲皇太后だと思ってしまったのはどうしたことだろう。
  昭憲皇太后が目の前に現われると私はその前へ飛んで行って、いきなり、
「この糞ッタレ婆ァ」
  と怒鳴った。そうすると昭憲皇太后の方でも、
「なにをこく、この糞ッ小僧ッ」
  と言い返して私を睨みつけるのである。私が変だと思うのは、「糞ッタレ婆ァ」というのは「婆ァのくせに人並みに糞をひる奴」とか、
「婆ァのひった糞はやわらかくて特別汚いので、きたねえ糞をひりゃーがった婆ァ」という意味で「糞婆ァ」というのは「顔も手も足も糞の様にきたない婆ァ」という意味なのである。ふだん私は「糞婆ァ」という言葉はよく使ったが、「糞ッタレ婆ァ」などという嫌な、最低の言葉は使ったことがないのに、ここで「糞ッタレ婆ァ」と言ってしまったのはどうしたことだろう。また、昭憲皇太后が「なにをこく」とか「糞ッ小僧」などという甲州弁を知っているかどうか、皇室ではこんな風なときに使う悪態はアクセントも違った言い方をするのだと思うが、夢を見ているのは私だから、私以外の知識が夢の中に出て来る筈がないのでこれはあとで考えると納得することが出来たのだった。「糞ッ小僧」と言われて私は怒りだした。いきなり昭憲皇太后に飛びついて腕を掴んでうしろへねじった。でかい声で、
「なにをこく、この糞ッタレ婆ァ、てめえだちはヒトの稼いだゼニで栄養栄華《エーヨーエーガ》をして」
  と怒鳴った。そうすると昭憲皇太后は、
「なにをこく、この糞ッ小僧ッ」
  とわめいて私の顔をひっかくのだ。私はカンカンに怒って、「エイッ」と昭憲皇太后に足がけをくれて投げ飛ばした。「どすん」と昭憲皇太后は仰向けにひっくり返って、(あれ、うまくいったなァ、俺はこんねに強かったのか)と私はびっくりした。(起き上がられては)と素早く私は昭憲皇太后の首を両股で羽交締《はがいじ》めにした。昭憲皇太后は両足でバタバタ暴れながら、私の股をひらいて逃げようとするのだが、私が変だと思うのは、私は両股に力をいれていないのですぐ逃げられてしまうのに、昭憲皇太后はいくら※[#足へん+宛]いても私の股はひらけないのだ。(困る/\、逃げられてしまう)と私は思っているのに逃げられないのはどうしたことだろう。その時、横で、さっきの老紳士が、
「皇后陛下の辞世のおん歌は」
  と言って読み始めたのだった。
    磯千鳥沖の荒波かきわけて
     船頭いとほしともしび濡るる
  そう読みあげて頼みもしないのにまた歌の解釈をするのだ。「磯ちどり沖の荒波かきわけて船頭いとおしともしび」までは「濡れる」の序で、歌の意味はただ「濡れる」というだけだそうである。
「濡れるって、ただ濡れるでは、何がどんな風に濡れるだかわからないじゃないですか?」
  と私は昭憲皇太后が逃げては(困る、困る)と思いながら、両股で首をはさんだまま老紳士の方を見上げてそう聞いた。
「なにが濡れるって、そこまで、はっきり言ってしまわないで、遠まわしに言うのが歌を作る者の心得だ。しいて、くどく税明すれば涙に濡れる、〝なんと悲しいことではありましょう〟ということです」
  と教えてくれた。
「つまり、なぞなぞみたいに作ればいいですね、和歌は」
  と私は言った。
「いや、なぞなぞとは少しちがうようだ」
  と老紳士は教えてくれた。昭憲皇太后はまた足をバタバタ暴れてわめいた。
「てめえだちは、誰のおかげで生きていられるのだ。みんな、わしだちのおかげだぞ」
  と言うのだ。
「なにをこく、この糞ックレ婆ァ、なんの証拠があってそんなことを言う。てめえだちの様な吸血鬼なんかに、ゼニをしぼりとられたことはあっても、おかげになんぞなったことはねえぞ」
  と私も怒鳴った。昭憲皇太后は金切り声で、
「なにをこく、この糞ッ小僧、8月15日を忘れたか、無条件降伏して、いのちをたすけてやったのはみんなわしのうちのヒロヒトのおかげだぞ」
  とわめくのだ。
「こんちくしょうッ」
  と怒鳴って私は拳骨を振り上げた。昭憲皇太后の頭をなぐりつけようとしたが、なぐる前に一応言い含めた方がいいと思ったので、
「終戦になって生命が救かったのは、降伏するようにまわりの人だちが騙すようにてめえの息子にそういうことを教えてやったのだぞ。その人だちは誰だか教えてやれか、米内、岡田、鈴木貫太郎ッ」
  と言い終って、私は昭憲皇太后のアタマをなぐりつけようとした。そこで私は、
「わーっ」
  と叫んで飛びのいた。私は昭憲皇太后の頭の真ん中にナカゾリの様な丸いハゲがあるのを見つけたからだった。「わーっ」と飛びのいたのは、私はハゲを見ると怖ろしくなるからで、これは私の頭がハゲているのでこれは自分の弱点を他人の中に見つけて怖ろしがるのである。これは、ふだん私はハゲに対して同情の様な、哀れの様な感情を抱いているからで、これはあとで考えると納得が出来たのだが、ここで私は昭憲皇太后に、
(待て/\、こんな婆ァを、いじめては)
  と、急に弱気になってしまったのだった。それで私は、
「おい、ちゃんと、おとなしく、よく話をしようじゃァねえか」
  そう言って私は土の上ヘアグラをかいて坐った。そうすると昭憲皇太后もノソノソと起き上って、土の上へ坐り込んだ。暴れたので疲れも出たらしい、「ふうふう」と呼吸も苦しそうだしブラウスがぬげそうになってるのを直したり、手で髪の毛をかき上げたりしているのを私はぼんやりと眺めているのだ。そのうち、昭憲皇太后はひとりごとを言いはじめた。
「フン、いい迷惑だよ、てめえだちの様な糞ッ小僧なんか、おおきにお世話のことを言いやがるけど、みんな国民はわたしだちを有難がって、なんやかやしてくれるし、あげくの果てにしぼりとったとか吸血鬼だなんてぬかしゃアがって、てめえだちが勝手に、そうしたがったくせに、ふんとに、いい迷惑だよ、フン」
  と言うので、私はまたカーッと逆上した。
「この糞ッタレ婆ァ」
  と怒鳴って飛びかかろうとすると、昭憲皇太后が、
「フン、どっちが悪《ワリ》いか、神様《カミサン》が知ってらァ、なァ、フン」
  と言うので驚いた。それは私の方で言いたい言葉だったのだ。(ヒトの稼ぎを巻きあげて栄養栄華《エーヨーエーガ》をして、この事実を)と私は歯を喰いしばって口惜しがったが、そんなことを(一番よく知っているのは神様だナ)と思った。それで私も、
「あゝ、神様《カミサン》がよく知ってらァ」
  と言った。急に横で耳を裂く様な軍楽隊の演奏が始った。〝アモーレ、アモーレ、アモーレ、アモーレミヨ〟――死ぬ程愛して――を吹奏楽でやりだしたのだ。〝クンバイ・クンバイ・チェロ〟を吹奏楽でやればいいと思っていたのに、(これも、いいねえ、)と私はゴ機嫌になった。ふらふらと立ち上ると目の前にさっきの老紳士が立っているのだった。大きい鎖のネックレスを束にして持っているので、
「いいですね、そのネックレスは男ものですか? 男ものでしょう?」
  と私が言うと、
「これはネックレスではないよ、文化勲章だ」
  と言うので、私は気味が悪くなった。老紳士はマユにしわをよせて、
「わしは天皇皇后のご成婚のなこうどをして文化勲章を貰ったが、みんな、こんなところへ捨てて行くので、勿体ないから拾いあつめているのだ」
  と言うのだ。そうして老紳士は向うを指差して、
「あれ勿体ない、三種の神器をあんなところへ捨てて、誰も拾って行かないけど」
  と言うのだ。ひょっと見ると、木片れの様な刀と、駄菓子屋で売っている様な子供用の鏡と、オモチャの指輪の玉の様なものが転がっているのである。私はあわてて、
「勿体ないねえ、誰かに売ればいいのに」
  と習った。
「ダメだわよ、クズ屋に売ろうと思ったけど、クズ屋も買わないのよ」
  と言うのは、渋谷で一緒にバスを待っていた編物をしている女のヒトなのだ。相変らず毛糸の玉を土の上に転がしたまま編物をしているのだ。横で、さっきの老紳士が、
「これが、皇太子殿下の辞世のおん歌だ」
  と言って色紙を読みあげてくれた。
   春の野の黄いなる花に舞ひ慕ふ
    もんしろ蝶は老を知らずも
「皇太子妃殿下のおん歌は」
  と老紳士は言ってまた読みあげてくれた。
   秋の夜のくれなゐ匂ふ星あかり
    ゆふべもみぢばいろそめにければ
  と言ってまた歌の解釈をしてくれるのである。
「皇太子殿下の春の野に対して妃殿下の秋の夜、春の野の青い色と秋の夜の銀色の星あかりと、黄いなる花は莱の花で、それに対照的に妃殿下のくれないの花、老に対する紅葉の錦色《アヤニシキ》と紋白蝶の配色は色彩の」
  と教えてくれたので、私はよく判ったのだった。老紳士がシャべってしまわないさきに、
「わかりましたよ、つまり、ああ言えばこう言い、こう言えばああ言って、夫婦というものはなんやかやお互いに強情をはって喧嘩などしても、死ぬときは、そんな喧嘩をしたこともロマンチックに思えるのだ、という歌の意味でしょう」
  と言うと、老紳士は、
「いや、この場合は、そこまで推量しなくてよいので、歌っているとおりだけの軽い意味でよわのだ。つまり、春の野の菜の花に舞う蝶は老を知らずに死んでゆくので、あの蝶の様に僕も死んでゆくのは幸福だという意味で、それに対する妃殿下の「くれない匂う」は娘十六を意味するもので、いえいえわたしは、16歳の乙女の頃より今はふけてしまったのです。「ゆうべもみじばいろそめにけり」は、わたしなど一夜のうちにふけてしまったのです。というのは、やはり妃殿下も世を去るのに未練はないと殿下のお心に合わせて作られたおん歌だ、なんと味わい深い、おもむきのある歌ではないか」
  と説明してくれた。向うの方では小屋がけが出来上って演芸会の仕度をやりはじめていた。万才師や曲芸の人だちが前を通って行くのは、そろそろ演芸が始まるらしく、銀座の方の戦いも終ったらしい。突然、バラバラバラと雨や霰が降りそそぐ様な小太鼓の響に私は呆然となった。気がつくと目の前は雲の様な小太鼓を叩く人達の大群が廻りはじめたのだ。
「軍隊の行進だッ」
  と驚愕していると、小太鼓の大群の後には、大蛇を巻きつけたような大喇叭を抱えた人達の大群が続いていた。その向うには、高射砲の様な金色のトランペットの林が押寄せるように並んでいるのだ。マンボの″花火〟、のふしが、烈風が吹きつけるように鳴り響きだした。
「ベレス・ブラードの花火だッ」
  と気がついた。そうして遠くは夕焼が黄色く残っているのに、あたりは薄闇になったのだった。(もう、夕方だから家へ帰ろう)と思った時、横から轟然と火の柱が吹きだした。その火柱は無数の尾をひいた木の葉の様な火の粉なのだ。横で
「あの花火が、有名な、〝小野の道風〟という題の花火だ」
  と教えてくれたのは、さっきの老紳士である。
「よく見なさい、柳の木の、しだれ柳の形になっているのだ」
  と教えてくれた。すぐ火柱は薄くなって消えた。瞬間、大地が揺れて落雷の様な響に天一面を真紅の火の粉が覆った。
「いまのが、有名な、〝西行|桜《ザクラ》″という題の花火だ」
  と老紳士はまた教えてくれた。火の粉はすぐ薄くなって消える瞬間、またパッと輝いて無数の糸になって私の頭上に降りそそいだ。
「それ、いまのが、狂い獅子というのだ」
  老紳士はそう言い終らないのに、また、
「それ、こんどのが、三十三間堂という速打《はやうち》だ」
  と口早くシャべった。三千三百三十三の仏の数だけの速打だとか、三昼夜通し矢を射つづけたとか老紳士がしゃベっているのに、私は別なことを考えているのだった。(こんないい花火を見て)と、私はくずれる様にうずくまってしまった。(あゝ、これで、思い残すこともない、死んでもいい)と思った。そうして、私も腹一文字にかき切って(死んでしまおう)と、私は辞世の歌を作ったのだ。
  ちはやぶる神のみ坂にぬさまつり
   祝ふいのちはおもちちがため
  歌の意味は武運長久を神に祈るのは自分のためではなく父母のためなのだ。私はもう今は父も母もないから死んでもいいというのである。横で老紳士に、
「それは、万葉の防人の歌にあるではないか」
  と言われてしまった。
(あッ、そうだったか、まずかったなァ、ヒトの歌を自分の辞世の歌にして)と思ったので、
「あゝ、そうでしたねえ、うっかり、でした、もうひとつ」
  そう言って、私は辞世の歌をもう一つ作って大声で読みあげながらバーンとピストルでアタマを打った。その時は変にも思わなかったが、あとで思えば、私が自分のアタマの中ヘピストルを打込んで、私のアタマの中の頭蓋骨にヒビがはいったのを、私の目が眺めているのは変なのだが、私の頭蓋骨の裂《わ》れ目の中に細長い、白い米粒のようなものが一杯つまっているのだ。それはうごくのもあるし、うごかないのもあるのだ。
「ウジだッ」と、私はキタナイのや顔を横にそむけたが、これは、ふだん、私は人間の顔の中にはウジみたいなものが一杯つまっていると思っていたので、無意識のうちでも稲妻《いなずま》のようにふだん思っていたウジやウジの卵がひらめいたらしく、これはあとで考えると納得することが出来たことだった。
  ここで私は夢から覚めたのだが、甥のミツヒトに起されたのだった。
「おじちゃん、でかい声で、寝言を言って」
  と目を丸くして私を起しているのだ。
「あゝ、ミツヒト、俺は死ぐのだ」
  とミツヒトにしがみついた。
「でかい声の寝言だねえ、はっきり言う寝言だねえ」
  と言われて、
「俺は、なにか言ったのか」
  ときくと、
「夏草やつわものどもの夢のあと、と、はっきり言ったよ。俳句をはっきり」
  と言うのだ。
「アッ、それは、いま、俺が作った辞世の歌だ」
  と私はまだ夢のつづきだった。そうして、俳句だと言われて、
(あゝ、なんだ、俳句だったのか)
  と私は完全に目がさめた。その時、ウエストミンスターの、あの、時を打つ前の、あの優雅な前奏が鳴りだしたのだ。前奏が終って寺院の鐘の皆の様に「べーン、ベーン」と2時が鳴った。私は枕許の腕時計に目をやってハッと腕時計を握り締めた。腕時計の針も2時かっきりを指しているのだ。(あッ、俺が夢を見ていた間は、この時計も起きていたのだ)と私は涙が出そうになる程嬉しくなって腕時計を抱き締めた。


(三つの浪漫的小品より――その(一))

底本:『中央公論』1960(昭和35)年12月号